サングラスを掛けたトラックドライバー

【第2話】アメリカの物流事情

海外から日本に戻って来ると、この国の物流におけるクオリティの高さを改めて感じる。
断言できる。日本の物流は、世界トップクラスだ。

SNSなどには、

荷物が指定した時間帯に来なかった。

路駐のトラックが邪魔。

さらには

時間帯指定を『19時から21時』にしていたら、19時01分に来た。

不在票の字が汚い。

などという不満すら時折並ぶが、日本に帰ってきてから対峙する配送スタッフの対応には、感動を通り越して、もはや尊敬すら覚える。

私は、過去10年間のうちの4年間、アメリカのニューヨークに住んでいた。
現地の物流事情を日本の関係者に話すと毎度大変驚かれるのだが、あのAmazonを生み出した国アメリカで、最先端が世界から集結する大都市ニューヨークで、自分宛の荷物を配送スタッフから受け取るには、それ相当の我慢と運が必要になってくるのだ。

再配達されない「炭水化物」

ニューヨーク滞在初期の筆者の元には、超心配性な母親から3ヶ月に1回のペースで荷物が送りつけられていた。
料理を全くしない娘が、異国の地で飢え死にしないか心配だったんだろう。
レトルト飯・餅・せんべいなどの炭水化物が毎度10kg日本からやってくる。

精米は色々いろいろ検査が必要で面倒だから送るな。

と強く念押しした次の便で、

“米国”なのにコメが送れないのは意味がちゃんちゃら分からん。

というメモと一緒に、炊飯器が送られてきた時ほど、母親の愛情の深さを感じたことはない。

ドアマンのいるアパートから、郊外の一軒家風のアパートへ引っ越した直後のことだ。
それまで現地の物流事情がどんなものか知る由もなかった私は、荷物追跡で翌日到着予定となっていた10kgの炭水化物を、

明日は外出しているから、不在票を残しておいてもらって後日再配達を頼もう。

と、軽い気持ちでやり過ごしていた。

だが、この判断がいかに甘いか、すぐに思い知らされる。

翌日、ポストに残されていたピンクの不在票。
そこに記載されていたURLをたどり、インターネットで再配達を依頼する。
……つもりだったのだが、いくら探してもその依頼ページには、時間帯指定の文字がない。

日付指定はできるのに、どうしてだ。
不思議に思い、電話で問い合わせたところ、予想外の答えが返ってきたのだ。

時間帯なんてできるワケないじゃないか。

それだと荷物が届くまで外出できないじゃないか。

と言っても、

届けるのは私じゃない

と不愛想に言い放たれて、電話は切れた。

こうして納得いかぬまま、次の日は仕方なく予定をキャンセルし、自宅で1日中荷物待ちをすることになったのだが、これがまた、どれだけ待っても荷物どころかチャイムすら一向に聞こえてこない。

イラつく心を抑え、夕方5時に再度電話で問い合わせたところ、前日と違うスタッフがこうつぶやいた。

荷物は”多分”トラックに積まれていないと思う

海外で過ごす大切な1日を待ちで棒に振ったにもかかわらず、謝罪も荷物もないという虚無感。

日本ではまず考えられない出来事に憤慨した私は、すぐさまアメリカ人の友人に電話し、

私の炭水化物が届かない

と不満をぶつけたところ、思いもよらない返事が返ってきた。

アメリカで『再配達』されるのは、一部の大手民間運送企業の“保険付き荷物”ぐらいなもので、荷物を受け取れなかった場合は、身分証明書と不在票を持って、郵便局や集配所まで自分で取りに行かないといけないのよ。

それまではドアマン付きのアパートで、不在時は彼らが受け取っていてくれていたために、アメリカの物流がこれほど厄介なものだとは気付きもしなかった。

最先端の街でこれほどの面倒があるか。

と、半ば信じられない気持ちで翌夕の仕事帰りに郵便局へ実際に行ってみると、そこには私と同じ目的でできた長蛇の列。
1時間以上待たされる客は、それぞれに慣れた顔して愚痴を言い合っていた。

置き去り配

アメリカでの物流に対するカルチャーショックは、これだけではない。

実は、上述したような配達員が不在時に荷物を持ち帰るケースは、今回のような国際郵便などに限られており、その他の荷物は玄関先にドンと放置してその場を去るのだ。

場所の指定などはもちろんできない。

空の下に、そのまま置き去り配をされるのである。

申し訳程度に、花壇に生えている雑草に隠したり、敷いてある玄関マットをかぶせたり、なかにはドア上にあるサッシに器用に挟んだりしてくれる “心ある” 配達員もいるものの、ご想像通りほとんど意味はなく、やはり荷物は頻繁に盗難に遭ったり、雨に打たれたりといったクレームと相成る。

そんなアメリカの物流事情を知り、

なんて国だ。

これでよく大手ECサイトが誕生したな。

とストレスを溜める日々を過ごしていたのだが、ある日彼らが荷物を放置するのには、彼らなりのれっきとした理由があることを知る。
置き去り配で発生する盗難や荷物不良に対する損害賠償よりも、再配達をする際のコストの方がはるかにかかるのだ。

実際のところ、日本の配達員が運ぶ約2割の荷物が再配達。
これを労働力に換算すると、年間約9万人のドライバーの労働力に相当する。
配達員の年収を300万円で計算すると、そのコストは日本国内でも年間2,700憶円にもなるのだ。

そう考えると、なるほど物流に対する考え方やコストの掛け方は国それぞれで、アメリカのやり方も間違ってはいないのかもしれないと、すんなり受け入れられるようになる。

それ以降、日本から送られてくる炭水化物を1度で受け取れなかった際は、中味を食らう前の運動だと割り切り、アパートから郵便局までの15分の距離を腕パンパンにしながらも、前向きに歩けるようになった。

日本で進む「置き配」への理解

こうしたアメリカの配達員に比べると、日本の彼らは冒頭のように何かと批判されやすい。

それは、日本社会の客は神であるという、客側の間違いに間違った神様精神」があるためだろう。

だが、海外で上記のような物流の詰まりを体感すると、日本ですぐにクレームをつける消費者が、いかに幸せ者なのかを思い知るのだ。

そんな中、昨今ようやく日本でもOKIPPAなる鍵付き袋とスマホを連動させた置き配サービスが話題を集めたり、今春から日本郵便でも置き配サービスが始まったりと、配達員への負担を軽減しようとする動きが見え始めている。
アメリカの盗難ありき置き去り配ではなく、日本らしい安全面を考慮しての置き配

いい流れだ。
こうして、日本の物流にかかる負担が少しずつ軽減されていったらいい。
実家の玄関の配達員に対面し、差し出された伝票にハンコを押す度に、私は人知れずお疲れ様のエールを送るのだ。

著者紹介

橋本 愛喜 (はしもと あいき)

橋本 愛喜
 
 
 
 

フリーライター。
大学卒業間際に父親の経営する零細町工場へ入社。
大型自動車免許を取得し、トラックで200社以上のモノづくりの現場へ足を運ぶ。
その傍ら日本語教育や主催したセミナーを通じ60か国4,000人以上の外国人駐在員や留学生と交流。
滞在していたニューヨークや韓国との文化的差異を取り入れながら、多分野をハーバービジネスオンラインIT mediaビジネスオンラインなどで執筆中。

関連記事